スピリチュアルで心理学
心理カウンセラーとして学んだ心理学にスピリチュアルな視点を加え、子育て・コミュニケーションについて提案します。
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見栄やプライド世間の目 どこまで手放せるか
日本人が覚醒することが急務だという話をいつもしているけど、世間の目 を 気にしない ことは
とても大変なことかもしれない、が幸せになりたいなら苦しくてもやるしかない。またそれは自分だけの問題でなく子供に悪影響を及ぼすからだ。 もともと勉強のできない子が、無理無理エリート校にいったらどうなるかはみなさんもわかると思う。
勉強はしたい子、頭のいい子(はやはりいる)が頑張ってやってもらえばよい。というかぜひやっていただきたい。そしてそのことで傲慢になってはいけないことを親と学校は教育しなければいけない。
もう一つは勉強といってもただ記憶量だけのことだから、学校の勉強ができないタイプの子なら生きる知恵や
考える力など を重視した塾へ行くといい。 フィンランドっぽいやつ。あるのか? そんな英会話クラスを作りたいなあ。特に学習障害の子が増えているというから、そういう子にはもってこいだ。
話は戻って、、、  
本当に頭がいい人は、決してひけらかさないし、自分が知らないことも知っている いわゆる無知の知。
小さいころからおけつをたたかれてか、親の気持ちを妙に察知する子供で、期待にそうようにがむしゃらにがんばって廃人のようになっている高校生もたくさんいる。ついていけずドロップアウトする子。兄弟のどちらかが落ちてしまい、歪んだ愛をもつ親の犠牲になるのだ。お受験もいいけど子供の性質も見極めて、いいところをみつけてあげてほしい。
子供のお勉強に(教育ではない)必死の人は、すごくコンプレックスの高い人であり、世間の目を気にする人だ
自分の自尊心が低いために、子供を使う おたくのおぼっちゃんすごいですね。 といわれると、 自分がほめられた気になるのだ。 俺が大学行けず苦労したからお前にだけは! といってきたら ”そんなの知らないよ。いまからでも社会人入学したら?” とは子供は言えないのだ。褒められよう 認められよう と必死にがんばる のだ(か、親の心子知らずでうちの子みたいにわが道をゆくか)
世間の目を気にするというのはまわりとの歩調をあわせるというのは、集団においてはある程度必要だが、(とりわけ農耕民族は)その調和は美しくもあるけど、個を犠牲にしたもの、集団に合わないものを村八分にするとか、
汚い面もある。もうそろそろこの第一段階を卒業したいものだ。(キャロラインメイスのいう第一チャクラ)都会に住んでいる人たちはぴんとこないかもしれないけど、田舎ではまだまだある。 そして都会においてでもいわゆるママさん集まりとか集団作りますよね。
必ずボスざるがいて^^; 人はさみしいからそういう集団を作って入って、まわりと一緒なら安心 なんだけど、ここでポイントは一つ。そのまわり って井の中の蛙です。 ということ、自分の集団の価値がバンコク共通で普遍だとでも思っているのだろうか。 もっともっと 大きく物事をみるようにしたいですね。 だから女性は働いてもいいし、活動、習い事でもいいし、たくさん社会へでて、せまいまま集団がすべての情報にならないように、ネットでもいいですが、あくまで情報を得るだけのほうがいいと思います。人間関係はやはり人対人。さみしさ 孤独を乗り越える というのが、この世に生きる多くの人のテーマのような気がします。(全員に通じる学びは愛です) つねづね 山の行より里の行が大変だとおもっている私ですが、孤独な人にとっては山の行の方がつらいですよね。 里の行で大変なのは、嫌な人にも愛を送れるか泥の中でも花を咲かせていられるか ということです。 そうそう多くの男性は持論で固め、悩みも抱えちゃうところがあるので広く人の意見や話を聞けるとよいですね。
[2013/02/24 18:02] | 心理学とスピリチュアル | トラックバック(0) | コメント(0)
我慢 辛抱 は美徳か
昨日、子供とテレビを見ていた。喉頭がんにより、声を失った方が何年ものリハビリの末、声を発することができるようになったという話である。その時彼女はどうしてリハビリをがんばったのかときかれ ”あなた(パートナー)とずっと話がしたかった”といった。何十年も夫の仕事が忙しく、夫婦の会話をゆっくりできなかったらしい。そのことで、ずっと不安だったと。そして、皮肉にも、病気になったときから、パートナーは仕事を減らし彼女との時間を大切にした。 というお話だ。
これを 大変だったね。 すごいね。 で終わらせず、一つの課題として見てみたいと思います。 というか 夫婦愛 という 形で、テレビ局側はもっていったが わたしは 別の視点から見てみたい。

彼女だけでなく、昔の女性は 我慢、辛抱 を美徳 とされ、夫のいろんな意味での暴力や、かまってもらえない?こと など を 耐え忍んでいた。 離婚率が低いのは、その理由でもある。 もっとも、ドライに言ってしまえば、離婚できなかったのだ、 耐えるしかなかった、 離婚は家族の恥であったし、(世間様ですね)なにより、経済的にきつかったのだ。(昨今離婚率が高いのは、経済的に大丈夫になってきた というのもあるが、まだまだ 経済的理由だけで、結婚生活をおくっているカップルはたくさんいます。母子家庭の 手当が減っているというのも、離婚を女性のわがまま、辛抱が足りないというふるい考えしかない人たちの政策だからか、母子手当目当てに、偽装離婚があるからかもしれないが) すみません すぐ話がそれますね^^;

とにかく、わたしはこう思った。 なぜもっと早く夫に 言わなかったのだろう ”あなたと話がしたい、子供のことを相談したいのに、、、。だからとっても不安なのだ。”と。 言えなかったんですよね。好きな仕事を生き生きとしているパートナーの邪魔をしたくなかったのだろうか、夫の留守を預かるのが妻の役目と 頑張りすぎたのではないか と思う。
男というのは 概して鈍感なので、 いわなければ、夫婦間はうまくいっている(問題なし)と思いがちなので、
女性は察してほしいと願わずに、きちんと口にださなければいけない。これは夫婦両方に課題があったのだ。
そして神様は 病気 という気づきを与えた。
すべてとは言わないが、病気はメッセージであることがある。現に、みなさんの周りにも、病気をきっかけに、
よい変化をもたらした方がいるとおもう。 やさしい、思いやりのある人になった。 こわれた関係を修復できた人生の転換(魂が求める方向)をした。 などなど。 
病気のさなかにいるときは、なぜ私が、 つらい など 思う。 もちろん、これら(病気に対する別の視点)は後になって、そう思うのだが、 スピリチュアルを少しでもわかっている人は、病気のさなかでもそういう視点でもみてほしい。 どれだけ、知識をいれても、病名を告げられたときにはパニックになると思う。でも頭の中にこういった情報を入れておくと、自分の、不幸と思える状況すら、別の視点からみる手助けとなる。いたずらに、死におびえ恐怖することがなくなる。これはわたしの実体験だ。

ところで、がん というのは、我慢する人、 頑固な人 に多いという。 って みんなやん(岐阜弁)そう。
日本人の多くはこういうタイプです。食生活だけが原因ではないんですね。病気というのをスピリチュアルな視点でみることはとても大切です。
話をまとめると、 外でばりばり働く男性、とそれに負担をかけないように自分だけで、家庭や子供のことを切り盛りする女性 という 夫婦の構図は 変わりつつあります。 特に、女性側の方が変化や気づきが早いので、男性側が、追いつけないという現状があります。 
どうすればいいか。 女性は 男性を責めることなく、素直に自分の気持ちを話すこと。なんども言いますが、多くの男性は鈍感ですので。 (言わない=OK) そして、男性は 聞く耳をもつこと プレゼンで頭がいっぱいだとか、忙しいとか と ピシャリ とシャッターを閉めないでください。 

もうひとつ。 これらは 余裕がないと できません。 スピリチュアルな視点は 心に余裕を生みます。
スピリチュアルは学問でもあります。もちろん 知識 と知徳 実践 両方が必要ですが、これからはますます生きる力として、必要になってくるはずです。








[2013/02/15 08:08] | 心理学とスピリチュアル | トラックバック(0) | コメント(0)
努力は美徳か
先日のブログで、努力することと、ラクすることのバランスが大事だ と書きました。
わたしは努力をしたきた方だ とも。”ラクをする”と聞くとマイナスに思う人もいますが、そういう方はきっとがんばっている方なんだと思います。だからこそ、その方たちに”努力・根性ばっかりでは、疲れますよ”と自分自身に言い聞かせるように言っているのです。なにもしてないことに罪悪感をもつのはやめましょう。
ラクをしてもいいんです。 といっても、これだけ便利グッズがあふれている世の中です。 昔のひとがきいたらきっと「なにが、努力じゃ。わしらの苦労にくらべれば、、、」と叱責されるでしょうが。

そんなことを思っていたら、こんな文章を目にしました。
 ”成功者は努力している。努力したけど、成功しないという人は結局が努力が足りないのだ。”  フム
昔の私ならこう思っただろう、「そうか、私には努力が足りなかったんだ!もっと努力だあ!!!」
でもいまはこう言う。そんなことはない
ここで考えることはまず 成功とはなにか です。
 先の文章では”仕事がうまくいって、お金もちになる”という物質的価値観の視点でいっていました。
 ですから、わかりやすく先ほどの文章をかくと、「お金もちになりたいなら、努力せよ。」あるいは「今の生活が苦しいのは努力が足りないからだ。」(金美齢 さんがいいそうです。)
ちなみに この思考はとても危険だと思います。 弱者切り捨て社会を推し進める勢力の常套句に使われます。
わたしはこう思います。
仕事の成功というかお金もちになるかどうかは、努力だけではない。もともとの環境、素質、例えば世渡り上手、人脈を上手に使ったとか、早くに人生の岐路にたちどうすれば成功するかを早く考えたとか、上手なお金の使い方をしっていたとか、あるいは、要領よく、人を踏み台にしてという成功者もいますよね。どうやったらもうかるかを 真剣に それこそ 努力して考えた結果かもしれません。そしてなにより、社会システムがありますから、同じ9時5時で働き、体や頭を使ってももらえる給料は違うわけです。

ここでのポイントは 努力 の中身 を考えることです。 わかりやすく受験勉強で考えると、がむしゃらに5時間勉強するのか、記憶術を利用したり、次々いろんな問題集をやらずに、一つの問題集を徹底的にやるとか、(←これわたしがやってきた間違ったやりかたです^^;) 
もうひとつは、 努力したいのか 成功したいのか はっきりさせる。
もう一つは 努力したいのか、 成功したいのか はっきりさせる。
努力が美徳だとおもうなら、どんどんやればいいのです。 ですが、だから成功するはずだ という図式は必ずしもなりたたないことを認めなければいけません。 成功したいのなら、先ほど書いたように、成功する方法や努力の内容を考えなければいけません。 あいつは楽して稼いでる とねたむ人は、本当はそうしたいのにそうしたいのに、努力しなければいけない という 刷り込みにがんじがらめになっているだけかもしれません。
(ただひとつラクに見えるだけで、実は努力していることも多々あります。表面だけで判断しないことも大事です。ちなみに成功してやる!という人の波動は強烈です)
まとめると、自分はどう生きたいのかということを考えてみることです。

もう一つ似たようなものに、 ”正しく生きる”というのがあります。 正しく生きていればいいことあるさ。 という人。こういう人は、(自分からみて)間違った行動をするひとを ばっさ ばっさ と斬る 傾向があります。 日本人は多いような気がします。真面目で一生懸命なのに、いいことない そんなボヤキが聞こえそうです。
”真面目に一生懸命生きる”のは わたし自身はは美徳だと思います。
ただ、それを 現世的な成功と結び付けてはいけません。 
自分がそう生きたいからそう生きる それ以上のことは求めないことだと思います。
[2012/12/27 21:05] | 心理学とスピリチュアル | トラックバック(0) | コメント(0)
個の尊重 子の尊重

古い価値観をいつまでも持ち続ける人と、新しい意識を入れられる人の差がでてきていますよね。
夫婦の間で、違うととても大変です。 傾向としては女性の方が、変化に順応できるし、精神的に強い。
そうなると、古臭い価値観の夫のもとで、鬱になる。

古い価値観というのは、個を殺して、集団にあわせよ です。
新しい価値観というのは、個を大切にすること。 しかし、ここは私の持論ですが、ばらばら ではない。
今は、個がばらばらなうえに、お上頼み。 自由 と 甘え 
本当は、小さなコミュニティを作り依存ではなく、助け合うことが理想なのですけど。
地域でやるのは難しいですね。

ところで、話はもどって、子の尊重。 親は自分にできなかったことを子供に託したり、自分が親にしてもらいたかったこと、を子供にする傾向がありますよね。わたしもありました。 でも 子供は子供。
子供を一個人として尊重できるかどうか、で子育てもずいぶん変わります。子供は所有物ではない。(最近は尊重をこして、放任しすぎという話もありますが。)
尊重するとはどういうことでしょうか。
子供を預かっている と考えるとイメージしやすいかもしれません。

子供が一人立ちできるようにするのが親の役目です。

老後の面倒をみてもらうためではありません。

自分の遂げられなかった思いを満たすために、自分のやれなかったことを子供に託して、プレッシャーをかけてはいけないのです。

あれこれ、世話をやいたりするのもよくない。専門家によると10歳をすぎるとしつけはいりません。いるのはガイダンス 導くこと。

失敗しないように、先回りして世話をやいてはいけません。失敗しても、チャレンジしたことをほめてあげること。 失敗する=ダメな子 という図式にならないように。うまくできるように、方法を模索一緒にかんがえるだけでよいのです。 

子供が相談しても、は自分(大人)のものさしで、子供の悩みを計ることではありません。
「そんな悩み大したことはない、大人になったらもっとつらい、それぐらいで悩んでどうする!!」
これをいったら、親子の信頼関係は壊れます。

ようするに、上から目線ではだめなんです。上から目線は疲れます。親が常に子供に尊敬されていないといけないと思うと、親も虚勢を張らなければいけないからです。
年齢が上っていうだけで大した違いはない、むしろ、子供のほうが大人の精神もっていることだってたくさんあります。

反論せず、批判せず「そっか、そっか」 ときくこと。

わたしもまだまだ修行中です。つい 説教しちゃうんですよね^^;
でも助かるのは、うちの子は後になって、「あの時はこう言ってほしかった」と言ってくれることです。
「そっか、そうだったんだね ごめんね」
ただただ、切ない?胸のうちをきいてほしかっただけみたいです。その後問題は解決したそうです。
[2012/11/30 12:32] | 心理学とスピリチュアル | トラックバック(0) | コメント(0)
テーマは自律①
リンク先の記事を拝借(すみませ~ん ○○さん)「親の言いなりになって、そもそも自分で考えるという事をしてきていない。言われたとおりにやってきて、いざ大人になって自分で好きなことをやろうとしてもどうしたら良いのか分からない。親に従ってきたので、自分で考えるという事は親に歯向かうこととなる」

ここまでなくても、親のレールの上をひたすら走ってきたOR今でも走っている人はたくさんいると思う。

わたしも、迷った時は、どっちがいい? と親にお伺いをたてたものだ。 

そのほうが 安心だ。 失敗しても、親のせいにもできる。

自分で考えることを奨励しないのは日本の教育スタイルでもある。

実は、これは安心であり、無責任でもある。

言われたことだけすればよい。 and 守ってやる 言い換えれば 愛してやる。 これが条件付きの愛

私たちは、(大人になったら)このセイフティブランケットからでなければいけない。

もう人のせいにはできない。 これは怖いことでもある。

一歩踏み出す! ところが、ときとして、このあったかいブランケットの下に戻りたくなるのだ。

自律すること。 これは、誰も頼るなということではない。経済的自立とも違う。

[2012/11/21 19:20] | 心理学とスピリチュアル | トラックバック(0) | コメント(0)
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Author:mikecottoncandy
心理カウンセラー スピリチュアルな視点からセルフカウンセリングの提案
英会話講師 

好きな植物 竹、ローズマリー、シュガーバイン 

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